江戸の馬場を巡る1
 朝鮮馬場  元朝鮮馬場  平河馬場  三番町馬場
 
朝鮮馬場
2011年1月7日撮影
所在地:千代田区北の丸公園 科学技術館前

朝鮮使節の曲馬を上覧したことから朝鮮馬場と呼ばれました。
馬場先門の中にあり、馬場先門と呼ばれる由来になっています。
 しかし、嘉永・慶応の江戸切絵図(尾張屋版の本)には、馬場先門のところには馬場はなく、今の北の丸公園の南側、科学技術館前あたりに「朝鮮馬場」があります。
 その後移ったのでしょうか。
馬場跡
科学技術館
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 元朝鮮馬場
 2011年1月5日撮影
 所在地:千代田区皇居外苑 馬場先濠の西側

この地図は丸の内仲通りに設置された地図の一部
復元年次は安政3年(1856)。

馬場先門は寛永6年(1629)兵庫橋虎口として建造されました。寛永12年(1635)門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、見附門も馬場先門と呼ばれるようになりました。

 しかし、嘉永・慶応の江戸切絵図(尾張屋版)ではここに馬場はなく、北の丸公園の南側にあります。
そのため、この馬場は仮に元朝鮮馬場としました。
 馬場跡。皇居前広場に面して設置してあるベンチの後ろ、木々の植わっている所あたりでしょうか。
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 平河馬場
 2011年2月4日撮影
 所在地:中央区平河町2丁目2・3番付近

平河天満宮の南側、北側の町屋と南側の武家の境目にありました。
(平河馬場と呼ばれていたかどうかはわかりません。)

 
馬場跡の南側。写真右側が馬場のあった辺りです。
平河天満宮。

由緒は、境内の説明板によれば
「江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478)江戸の守護神として創祀された(梅花無尽蔵に依る)。
慶長12年(1607)二代将軍秀忠に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて地名を平河天満宮にちなみ平河町と名付けられた。
徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼に宮司は将軍に拝謁できる格式の待遇を受けていた。また学問に心を寄せる人々古来深く信仰し、名高い盲学者塙保己一蘭学者高野長英の逸話は今日にも伝えられている。
現在も学問特に医学芸能商売繁盛等の信仰篤く合格の祈願客も多い。」
とのこと。 
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 三番町馬場
  2011年1月7日撮影 
所在地:千代田区九段北3丁目1番付近 
       (靖国神社第二鳥居の手前付近)

馬場は御用明地騎射馬場として使用され、三番町にあったことから三番町馬場とも呼ばれていたそうです。
 馬場の隣の歩兵屯所は、文久3年(1863)幕府の兵制改革にともない小川町、西丸下、大手前と合わせ4カ所に設置されました。
 その後歩兵屯所は廃止されましたが、明治2年(1869)大村益次郎らが、跡地に戊辰戦争で亡くなった薩摩藩士、長州藩士、水戸藩士ら3、588名を祀るため靖国神社の前身東京招魂社を建て、現在のようになっています。

馬場”だったからではないと思いますが、日本人の運営による国内初の洋式競馬が明治3年(1870)行われたのもここ、東京招魂社の境内(現在の参道周辺)でした^^
 
馬場跡
 靖国神社
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 2011年4月2日作成
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