江戸の馬場を巡る2
 騎射調練馬場  錦小路馬場  初音馬場 采女ヶ原馬場
 
騎射調練馬場
2011年4月6日撮影
 所在地:千代田区麹町1丁目8・10・12付近

騎射調練馬場は半蔵門の西の御用地にあった馬場です。
幕府は安政三年(1865)より旗本の二、三男をここに集めて練習したが、侍たちは頭にほうろくをつけて打ち合ったといわれ、ほうろく調練場とも呼ばれたそうです。
東側から。右側が馬場跡。
 西側から。左側が馬場跡。
馬場の北側の南部丹波守から前田丹後守にかけての屋敷跡には現在はイギリス大使館が建っています。
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 錦小路馬場
2011年1月12日撮影
 所在地:千代田区神田錦町2丁目 7・9・11付近

神田の錦小路沿いのあった御馬預・曲木仙之助の屋敷内の馬場のようなので、錦小路馬場としておきます。
 日本橋川沿いから。写真中央のビル付近に御馬預の曲木仙之助の屋敷と馬場がありました。今はビルが立ち並んでています。 右側の本多伊予守の屋敷跡に立っているのは日清製粉本社。
 馬場のあった所の西側の通り。電柱の「貸会議室」がこの周辺らしさを現わしています^^
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 初音馬場
 2010年6月24日撮影
 所在地:千代田区日本橋馬喰町1丁目9・14付近

近くにあった初音稲荷にちなんで初音の馬場と呼ばれ、関ヶ原の戦いの時、徳川家康がここで馬揃えをして戦勝を祈ったそうです。

 
右側が馬場のあった日本橋馬喰町1丁目9・14。
 現在は問屋街の一角となって馬場があった形跡は、説明板も含めまったくありません。
初音森神社
初音森神社の創建は元弘年間(1331~34)で、文明年間(1469~86)に太田道灌により社殿が建てられました。当時の鎮座地は、初音の里と呼ばれていた現在の場所あたりで、初音稲荷と称していたそうです。
天文20年(1551)社前に馬場ができましたが、初音稲荷にちなんで初音の馬場と呼ばれ、初午祭などには馬追などが行われたとのこと。
その後、浅草見附門の建設のために境内地の半分が削られ、さらに明暦の大火の後郡代屋敷建設のために、墨田区千歳へ遷座しました。昭和23年(1948)に旧・初音の里に神社を建立、昭和48年(1973)にはビルになり、本殿は墨田区にありますが、神殿・儀式殿はここにある形になったそうです。
ビル2階には馬の像がおいてありました。
(2010年7月1日撮影)
 神社の下には浅草御門の門柱が展示してあります。
説明文によれば、
昭和36年総武線快速工事の際、両国郵便局横の緑地帯の土中より発見されました。
明暦の大火から凡そ400年が経過し、門柱として使用されていた当時は、既に樹齢500年以上であったと思われるそうです。
(2010年7月1日撮影)
   広重 名所江戸百景 第6景「馬喰町初音の馬場」
   
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 采女ヶ原馬場
  2011年1月14日撮影
 所在地:中央区銀座5丁目14・15付近

采女ヶ原の由来は、江戸前期に松平采女正の屋敷があり、享保九年(1724)の大火で焼けたあと日除地になって、采女が原と呼ばれたことによるものらしいです。
切絵図で采女ヶ原馬場の南に架かる「二ノ橋」近くには、今は采女橋が架かっています。
 
馬場跡。 
手前茶色のビルは岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」。
 
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 2011年4月1日作成
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