江戸の馬場を巡る4
小日向馬場  小石川馬場  桜の馬場 堀田原馬場
 
小日向馬場
2011年4月16日撮影
所在地:新宿区西五軒町6・11付近

神楽坂の北、神田川沿いの新宿区西五軒町にあった馬場です。
 この付近は江戸時代の町名を引き継いだ町名が多くあります。
 いくつか由来を調べてみると、
五軒町(西五軒町・東五軒町):馬場の建設のため土をとった跡地がこの工事の請負人5人に与えられたことから。
水道町:北に神田上水が流れていたことから。
築地町:沼地だったのを明暦の大火の後に埋め立てたことから。
改代町:慶長年間に、神田雉子橋の住民を牛込御徒町に移し、後にこの地に改めて代地を与え移したことから。
とのこと。
 手前の道と、その先のちょうど人が歩いている付近にある道とで挟まれた細長い区画が馬場のあった所です。ほとんど切絵図と道が変わっていません。
手前の道から。右側が馬場跡。
   その先の道から。左側が馬場跡。
 馬場の南にある牛込の総鎮守・赤城神社。

 平成21年(2009年)から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」が行われ社殿を再建し、新たにホールやギャラリーなどの施設を建設したそうです。
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 小石川馬場
2011年1月22日撮影
 所在地:文京区白山1丁目7~8もしくは5~6

小石川馬場があったのは都営三田線白山駅から白山通り沿いに南へ行った白山1丁目7番~8番かその南側の5番~6番辺り。
切絵図の道筋は変わっていないとして、白山通りの西側の脇道から判断すると、5番~6番、東側の途中で曲がっている道から判断すると7番~8番、となります。

 享保2年(1717)1月には小石川馬場の武家屋敷より出火、「小石川馬場の火事」と呼ばれる大火になり、霞ヶ関・半蔵門まで燃え広がって死者100 余人を出しています。

 その直後の2月には、大岡越前守が南町奉行に就任し火事対策に乗り出して、屋根の瓦ぶき化、火除け地の建設、町火消し「いろは47組」の発足させています。
写真左側が7番~8番、右が5番~6番、どちらかということで間の道から。

 ちなみにこの周辺は昭和41年まで指ヶ谷(さすがや)町という町名でした。3代将軍家光が鷹狩に来て「あの谷も遠からず人家が出来るであろう。」と指し示したことから、指ヶ谷の地名ができたとのこと。
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 桜の馬場
 2011年4月3日撮影
 所在地:文京区1丁目5-45付近

お茶の水橋を渡った先の東京医科歯科大学が建っている付近に桜の馬場はにありました。

左切絵図はお茶の水駅前交番横にある「駿河台」の歴史についての説明板に記載された切絵図(安政3年(1856))の一部です。
 しかし、もう少し後で作られた尾張屋版切絵図万延2年(1861)改訂版には馬場はなく、「江川太郎左エ門掛鉄砲鋳場」となっています。
 
西側から見た馬場のあった東京医科歯科大学方向。
初音馬場には神社が建っていましたが、ここ、桜の馬場にもかっては櫻木神社が建っていました。
現在は遷座して、本郷4-3-1にあります。

櫻木神社縁起略記の碑には、
文明年間(1469-1487)太田道灌江戸築城の際菅原道真の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたものを、その後桜の馬場の地に建立。その後元禄3年(1690)徳川綱吉が同所に昌平校設立するのにあたり富元山真光寺境内の現社地に遷座したと書かれています。
    境内では、櫻木神社にふさわしく、桜が咲いていました。
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堀田原馬場
  2011年3月6日撮影
所在地:台東区蔵前3丁目19と寿3丁目5付近

浅草御蔵の近くにも馬場がありました
現在の地図でいうと厩橋の西、春日通りを挟んで、蔵前3-19と寿3-5付近。

※すぐそばに「堀田原ト云」と書かれているので、堀田原馬場と仮称してあります。

 
蔵前3-19。南側から北側を見たところ。
寿3-5。北側から南側を見たところ。
寿町側には建物の間にぽつんと稲荷神社がありました。
広沢稲荷神社という神社で、寿3丁目町会が建てた記念標によれば、「田原町あたりに鎮座されたのを(中略)、当時佐倉藩堀田家の屋敷の馬場の一隅の現在地に移転した」とのこと。
どうやらこの付近に馬場があったことは間違いないようです。
 切絵図では堀田原馬場の南側に「八幡宮」と書かれている蔵前神社。
由緒沿革によれば、
 徳川第5代将軍綱吉公が元禄6年(1693)、山城国の石清水八幡宮を当地に勧請したのが始まりで、
江戸城鬼門除の守護神ならびに徳川将軍祈願所の一社でした。
当時の正式名称は「石清水八幡宮」でしたが、一般には「蔵前八幡」「東石清水宮」と呼ばれていました。
また、蔵前には両国国技館が出来る前に現在の東京都下水道局の所に蔵前国技館がありましたが、
江戸時代には蔵前神社境内で勧進大相撲が開催されていました。宝暦7年(1757)から約70年間に23回開かれ、両国回向院・深川八幡宮と並んで三大拠点の一つでした。
このことから、蔵前神社には日本相撲協会から社号額や玉垣の奉納が行われています。
 切絵図で馬場の東にある榧寺(かやてら)。
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 2011年4月1日作成
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