品川台場
レインボーブリッジを渡って、第3、第6台場を見たのをきっかけに、その後、品川台場(御殿山下台場を含む)の跡を他でも見たのでまとめてみました。
<品川台場の成り立ち>
嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた勘定奉行の川路聖謨らが動き、幕府は江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川太郎左衛門に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基の台場を一定の間隔で連鎖的に築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8ヶ月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に御をつけ、御台場と称したことが由来である。埋め立てに用いる土は高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して調達した。
 ペリー艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で、まず海上に第一台場から第三台場が完成、その後に第五台場と第六台場が完成した。第七台場は未完成、第八台場以降は未着手で終わった。第四台場は7割ほど完成していたが中止され、その後は造船所の敷地となる。また第四台場の代わりに品川の御殿山のふもとに御殿山下台場が建設され、結局、合計8つの台場が建設された。(Wikipedia「お台場」より)
 

品川台場築造図 (品川区立品川歴史館発行『黒船と品川台場』から)

現存する台場は、公開されている第三台場と、レインボーブリッジ傍にある第六台場のみです。

 第三台場 (2010年3月22日撮影)
台場公園(東京都港区台場1-10)として公開されています。

レインボーブリッジから。
 
碑には「史蹟 品川台場 参番」と彫られています。
 
 台場公園案内図から。
 台場の上は松の木が植えられ、くぼ地も含め芝生(雑草?)で覆われています。
 陣屋跡
   弾薬庫跡
 かまど場跡 (江戸時代のものではない)
砲台跡 (江戸時代のものではない)
 第六台場 (2010年3月22日撮影)
レインボーブリッジの上から。
人の立ち入りは禁止されているため、野鳥の楽園となっているそうです。

 第四台場 (2010年4月11日撮影)
品川区の天王洲アイルにある第一ホテルシーフォート付近が第四台場のあったところで、北側の散歩道の下に当時の石垣が再利用されています。
 
 ちなみに、ここの名称「シーフォート=Sea Fort」は「海の砦」の意味で、台場跡らしいネーミングです。



頭上を通っているのは東京モノレール。
   
 第五台場 (2010年5月22日撮影)

芝公園のみなと図書館の道路沿いには、第五台場から移されたといわれている石垣石があります。

「お台場の石垣石
 お台場(内海御台場)は、嘉永六年(1853)黒船来航により、幕府が急きょ築造した海上砲台です。未完を含め七基の台場のうち、国の史跡指定を受けた、第三と第六の二基を残して、その他は解体、埋め立てられました。
 この石は、その当時、第五台場(現・港南5丁目)から移されたといわれています。
 伊豆周辺から運ばれた安山岩で側面には、約100年の間、波に洗われた跡をとどめています。
 −文化財を大切にしましよう−
 港区教育委員会」

   
 御殿山下台場 (2010年4月11日撮影) 
東品川には御殿山下台場(砲台)跡があり、台場のあった所には小学校が建っていて、校名が台場小学校となっているほか、校門のそばに記念碑と説明板が設置されています。
 説明板
「嘉永6年(1853)、アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求めるため浦賀(神奈川県)に来航しました。鎖国していた当時の日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守るため、急いで品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を造ることにしたのです。
 伊豆韮山(静岡県)の代官・江川太郎左衛門英龍がオランダの書物をもとに砲台づくりの指導にあたり、第一から第三台場と第五・第六台場は完成させましたが、残りの第四・第七は中途で工事を中止し、第八以下は着工にも至らなかったのです。その代わりとして、陸続きで五角形の砲台を造ることになりました。これが御殿山下台場(砲台)です。明治になると埋め立てられ姿を消しましたが、幸いなことに台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と形を知ることができます。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分ほどの面積を占めています。
 台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられました。石垣の上に立つ灯台は、明治3年(1870)、日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯台を模したものです。
品川灯台は、現在は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されています。
 平成18年 3月31日 品川区教育委員会」
台場小学校の周りの地図。五角形になっているため周辺の道もイレギュラーになっています。
 


御殿山下台場跡から発見された石垣と、第二台場の品川灯台を模した記念碑。
   
 江川太郎左衛門屋敷跡 
両国駅の北東側、北斎通りを少し東に行った所にある墨田区・緑町公園には、「江川太郎左衛門屋敷跡」の説明板が立っています。

「江川太郎左衛門は、伊豆韮山を本拠地とした幕府の世襲代官で、太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称です。なかでも有名だったのが、三十六代の江川英龍(1801〜55)です。
 英龍は、洋学、とりわけ近代的な沿岸防備に強い関心を寄せました。我国に西洋砲術を取り入れ、韮山に反射炉を築いて、江戸防御のため江戸湾内の数ヵ所に砲台(お台場)を造りました。また、日本で初めてパンを焼いた人物だともいわれています。
 この屋敷は代官の屋敷も兼ねていて、英龍は、土佐国中濱村で、嵐で遭難し、米国の捕鯨船に救われ、ほぼ十年振りに帰国した中濱萬次郎を敷地内の長屋に住まわせ、英語を講義させたといわれています。」
歌川広重が名所江戸百景で描いた御台場
 歌川広重の名所江戸百景の中にも、台場が描かれたものがあります。、
 第81景「高輪うしまち」、第83景「品川すささ」、第108景「芝浦の風景」では、いずれも絵の背景の一部として描かれています。
 第28景 「品川御殿やま」では、台場を築くための土に使うために削ったので、形が変わってしまった御殿山を描いています。
 第81景「高輪うしまち」  第83景「品川すささ」  第108景「芝浦の風景」 第28景 「品川御殿やま」
   2011年3月26日作成
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