名所江戸百景を歩く 第41景〜第50景
   
第41景 「市ヶ谷八幡」
  撮影地:新宿区市谷八幡町 市ヶ谷橋上

  市ヶ谷八幡は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりで、「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称しました。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にありましたが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興されました。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったそうです。

  絵では市ヶ谷御門を出たところに架かっていた橋から亀岡八幡宮方向を描いていますが、現在ではビルが邪魔で見えません。

     2010年7月26日撮影
   
第42景 「玉川堤の花」
  撮影地:新宿区内藤町 新宿御苑散策路
  
 この絵は、内藤新宿の南側を流れる玉川上水の土堤には植えられた桜を見物して楽しんでいる人たちを描いたもの、らしいです。らしいと書いたのは、この絵は実際にはない風景を描いたもので、実際には桜は植えられたばかりの若木ばかりで絵のような景観ではなかったが、版元と内容新宿とがタイアップして宣伝のためにこのように描かせたという説があるからです。
 写真は、内藤新宿の南側にあたる新宿御苑散策路にできた「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」で撮影しました。
   2010年11月13日撮影
   
第43景 「日本橋江戸ばし」
 
  撮影地:中央区日本橋室町1丁目 日本橋

  日本橋の上から江戸橋の架っている下流とその両岸の眺め。
 絵では左に擬宝珠(えぼし)が描かれています。今の日本橋には擬宝珠はないものの、日本橋のすぐ傍、漆器を扱っている黒江屋のショーウインドウには、日本橋の擬宝珠が展示してあります、

「日本橋の擬宝珠(ぎぼし)
万治元年戊戌年(1658年)9月吉日 日本橋御大工椎名兵庫」の刻印がある御大工の“御”とは幕府用達の大工であったことを指します。」(黒江屋HPより)
    2010年7月20日撮影
   
第44景 「日本橋通一丁目略図」
  撮影地:中央区日本橋1丁目4-1付近

 日本橋1丁目、現在はCOREDO日本橋のビルが建っています。
 江戸時代には白木屋呉服店があったところで、その後東急百貨店となりましたが、1999年閉店。2004年に複合商業施設としてCOREDO日本橋ができました。COREDOは「CORE(中心・核)+EDO(江戸)」、江戸の中心という意味だそうです。
 2010年7月20日撮影
   
第45景 「八ツ見のはし」
  撮影地:中央区八重洲1丁目 一石橋

  一石橋は、橋から7つの橋と一石橋の8つの橋が見えることから、「八ツ見のはし」 とも呼ばれていました。
広重の絵に描かれている橋は、銭瓶橋と道三橋(と一石橋の欄干)。左側の屋敷は、秋元丹波守屋敷と細川越中守の屋敷。江戸城らしきものも絵ががれていますが、二の丸、三の丸あたりでしょうか。

現在は道三堀が埋め立てられているので、写真は川岸に向かって撮っています。
    2010年6月27日撮影
   
第46景 「鎧の渡し小網町」
  撮影地:中央区日本橋兜町1付近

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。
 伝説によると、かってこの附近には大河があり、平安時代の永承年間(1046〜53)に、源頼義が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだといわれています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 現在架っている鎧橋の外側に間隔をおいて突き出ている鉄骨は鎧をイメージしたものなのでしょうか。
 
    2010年7月20日撮影
   
第47景 「昌平橋聖堂神田川」
  撮影地:千代田区外神田一丁目 昌平橋
 
 湯島聖堂は徳川5代将軍綱吉が、儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島に聖堂を創建したのが始まりで、寛政9年(1797)幕府直轄学校として「昌平坂学問所」となり、明治4年(1871)廃止されるまで続きました。
 
 写真は 秋葉原の神田川に架かる昌平橋から湯島聖堂方向を撮りました。神田川の上を横切っているのはJR総武線です。湯島聖堂の築地壁は建物が邪魔をして見えませんが、現在も健在です。

   2010年6月17日撮影
   
第48景 「水道橋駿河台」
  撮影地:文京区本郷1丁目2 神田川沿い
  
 神田上水では関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園をぬけ、神田川を掛樋でわたし神田・日本橋方面に給水されていました。この水道の懸樋が近くにあったことから西側にあった橋が水道橋となりました。
 駿河台は本郷・湯島台の南端でしたが、神田川の開削によって切り離された台地です。家康の死後駿河から帰ってきた駿河衆が多く住んでいたことや、駿河国の富士山が見えたことから駿河台と呼ばれるようになりました。
 
 写真は神田川に架かる水道橋から下流方向に少し行ったところから水道橋を入れて撮影。
 近くには神田上水懸樋跡の石碑があります。

   2010年7月18日撮影
   
第49景 「王子不動之滝」
  撮影地:北区滝野川2丁目 松橋

 王子を流れる石神井川は、滝野川や音無川とも呼ばれ、広重もこの絵のほかに第19景「王子音無川堰 世俗大滝ト唱」 、第88景「王子滝の川」としても石神井川を描いています。
 石神井川は王子台地と上野台地の間で渓谷を作り、王子七滝といわれる滝がありました。石神井川の右岸(南側)にある正受院というお寺の裏手にあった滝は、その滝壺の傍に不動明王を祀る祠があったことから、「不動滝」と呼ばれました。
 ただし、絵では不動滝は壮大な景観として描かれていますが、実際にはそれほど大きな滝ではなく、広重が誇張して描いたようです。
 現在、不動の滝はなく、正受院の境内に北区教育委員会が作成した「不動の滝跡」説明板があるだけです。
 写真は、正受院の上流にかかる松橋の上から見た下流側です。すっかりコンクートで固められた河となっています。
    2010年9月2日撮影
   
第50景 「角筈熊野十二社 俗称十二そう」
  撮影地:新宿区西新宿2丁目11-2 熊野神社前

 新宿中央公園の西にある熊野神社のまわりは昔、十二社と呼ばれました。熊野神社の建立のあたり戦国時代に紀州熊野にある十二の権現を勧請したことによります。社を「そう」と読むのは、一つの社に十二の神様を一緒にまつった十二相殿からといわれています。、十二相、十二双、などとも書かれました。江戸時代、神社に隣接した十二社池や那智の滝になぞられた十二社の滝は、江戸有数の景勝地でした。

 写真は十二社通りの熊野神社近くに架かっている歩道橋の上から、十二社池のあったと思われる十二社通りを隔てた住友不動産西新宿ビル3号館、パシフィックマークス新宿パークサイドあたりを撮ったものです。
  2010年7月28日撮影
   
 
   
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