名所江戸百景を歩く 第51景〜第60景
   
第51景 「糀町一丁目山王祭ねり込」
  撮影地:千代田区隼人町 国立劇場前の桜田濠沿い

 山王祭は日枝神社で毎年6月15日に行われる祭礼で、神田祭、深川祭と並んで江戸三大祭の一つとされています。
 祭の山車や神輿は江戸城内に入る事が許され、将軍も御覧に供していました。また費用が膨大なため神田明神野神田祭と1年おきに交互に行われていました。
 写真は半蔵門の南側の桜田濠、国立劇場前付近から。左側の植木と背後のビルは、手前に半分見えている山車とその上の太鼓に見えないこともないでしょうか。
     2010年8月4日撮影
   
第52景 「赤坂桐畑」
  撮影地:港区赤坂2丁目5 山王下交差点付近

 今は埋め立てられ面影もありませんが、虎の門から赤坂にかけてあった溜池の周囲には桐が多く植えられ赤坂桐畑といわれていました。
 写真は、山王下交差点から見た山王パークタワー方向。外堀通りがちょうど溜池があったあたりのようです。
   2010年9月7日撮影
   
第53景 「増上寺塔赤羽根」
 
  撮影地:港区芝公園4丁目 芝公園内・芝丸山古墳

 描かれている塔は増上寺の五重塔です。増上寺の南側、芝丸山古墳の上にありましたが、戦争で焼失してしまいました。
 俯瞰で描かれているので、五重塔があった芝丸山古墳の上から撮ってみました。ほとんど樹木しか写っていませんが、わずかに見える道路が赤羽川(古川)のように見えなくもありません。
    2010年8月24日撮影
   
第54景 「外桜田弁慶堀糀町」
  撮影地:千代田区霞が関2丁目 警視庁前の桜田濠沿い
  
 写真は 桜田門を出て桜田濠沿いに少し西に進んだ所から。この辺の地形はほとんど変わっていません。
  絵の左側にある赤い門の屋敷は彦根藩主井伊掃部頭(いいかもんのかみ)の上屋敷です。写真の右寄りに細長い煙突のような物が映っています(時計台です)がその辺りです。桜田門外の変では、大老井伊直弼がこの屋敷からお堀沿いに桜田門に架かる橋まで来た時に水戸藩浪士らに暗殺されました。
 2010年8月4日撮影
   
第55景 「佃しま住吉の祭」
  撮影地:中央区佃1丁目1-14 住吉神社境内

 佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲(よりす)でした。江戸幕府初代将軍徳川家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区)の漁民を招いて住まわせたと言われています。彼らは故郷の名を撮ってここを佃島と名付け、郷土の村の産土神を勧請して住吉神社を建立しました。
 住吉神社の本祭は3年に1度行われ、絵にも描かれているような裸の若衆による勇壮な神輿の海中渡御も行われていましたが、今は海中渡御はおこなわれていません。。
 絵の中央にあるのは本祭の時に立てられる大幟ですが、撮影した年は本祭りでなく陰祭りだったので大幟は川底に埋められていてありませんでした。そこで境内に立っていた幟を大幟と見立てて撮りました。

 佃大橋から見た佃島。

背後に大川端リバティ21の高層住宅や高層ビルが建ち並ぶ中、佃島だけ異なる空間のようです。
    2010年8月6日撮影
   
第56景 「深川萬年橋」
  撮影地:江東区常盤1丁目 萬年橋

 江戸時代、小名木川に架けられた橋は、船の通航を妨げないように高く架けられていました。この絵からは判りませんが、万年橋も虹型をした優美な橋だったそうです。
 写真は萬年橋の欄干越しに清澄橋方向を撮ったもの。「鶴は千年亀は万年」にひっかけて描かれた亀はいませんが、清澄橋のアーチが富士山に見えないこともないでしょうか。

現在の萬年橋

    2010年8月19日撮影
   
第57景 「みつまたわかれの淵」
  撮影地:江東区常盤1丁目6付近 隅田川テラス

 この絵は隅田川の左岸から、新大橋の先にあった中州と、その下流の当時は島だった箱崎、そして隅田川右岸の大名屋敷を描いています。
 現在の地図を見ると、中州のあった辺りは日本橋中州町、箱崎は日本橋箱崎町となり、当時の右岸の辺りには首都高が通っています。
 写真は左岸にある芭蕉記念館前の隅田川テラスから少し下流側に歩いた所で、対岸の清洲橋西詰の日本橋中州町辺りを撮ったもの。右端にわずかに首都高の高架が見えています。
   2010年8月19日撮影
   
第58景 「大はしあたけの夕立」
  撮影地:中央区日本橋浜町3丁目 隅田川テラス
 
 広重の絵の表題では「大はし」となっていますが、描かれているのは新大橋です。「大橋」と呼ばれていた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。場所は現在の新大橋から約200m下流、ちょうど首都高が隅田川沿いに出る付近と対岸の芭蕉記念館付近でした。
 芭蕉庵に住んでいた松尾芭蕉も句を詠んでいます。
   「初雪やかけかかりたる橋の上」
   「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
   2010年8月19日撮影
   
第59景 「両国橋大川ばた」
  撮影地:中央区東日本橋1丁目10 隅田川沿い

 両国橋西詰近くには「旧跡 両国広小路」の碑があります。

明暦の大火(1657)で隅田川に橋がなかったために逃げ場を失ってたくさんの焼死者を出したため、両国橋が架けられ、火除け地として両国広小路が設けられました。
 江戸時代の両国橋は、現在に場所から約50mほど下流にありました。
 写真は少しでも俯瞰の雰囲気を出そうと下流側にある日本橋中学前の歩道橋の上から撮ったものです。
    2010年7月8日撮影
   
第60景 「浅草川大川端宮戸川」
  撮影地:中央区東日本橋2丁目 両国橋

 隅田川は浅草川・みやこ川(宮古川)・みやと川・大川・両国川など流れる地域によって異なっていました。浅草付近では浅草川と呼ばれたほか、浅草寺本尊の観音像が引き上げらことから宮戸川とも呼ばれていました。
 大川端は、吾妻橋周辺から新大橋周辺までの右岸一帯のことで、この絵は両国橋の上流、神田川が合流する付近を描いています。
  2010年8月7日撮影
   
 
   
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