名所江戸百景を歩く 第61景〜第70景
   
第61景 「浅草川首尾の松御厩河岸」
  撮影地:台東区蔵前1丁目 隅田川テラス

 江戸時代、現在の蔵前付近には幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫、浅草御蔵がありました。
その浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」と呼ばれる松がありました。
名称の由来については、
 1)寛永年間(1624〜43)に隅田川が氾濫したとき、三代将軍家光の面前で謹慎中の阿倍豊後守忠秋が、列中に伍している中から進み出て、人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを賞して勘気を解いたので、かたわらにあった松を「首尾の松」と称した。
 2)吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上がり下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところからの説。
 3)首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代、このあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが、訛って首尾となり、近くにあった松を「首尾の松」と称した。
と諸説あるようです。
 蔵前橋西詰の南側には浅草南部商工観光協会が建立した「首尾の松」碑と何代目かの松が植わっています。

 実際に首尾の松があったのは碑の場所からもう少し下流、蔵前専用橋あたりのようですが、そこからだと蔵前橋と蔵前専用橋ばかりになるので、もう少し下流から撮ってみました。
     2010年6月20日撮影
   
第62景 「駒形堂吾嬬橋」
  撮影地:台東区雷門2丁目2 駒形橋西詰

  『浅草寺縁起』等によれば、推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網に仏像がかかっていることに気がつきます。この像を拝した二人の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、屋敷を寺に改めて供養しました。これが浅草寺の始まりだそうです。聖観世音菩薩が網にかかった所に駒形堂は建てられました。

似たアングルを狙ったのですが、現在の駒形堂の位置では隅田川といっしょに撮ることができませんでした。

駒形堂

   2010年6月10日撮影
   
第63景 「綾瀬川鐘か淵」
 
  撮影地:荒川区南千住8丁目 隅田川テラス

 かっての綾瀬川の流路は荒川放水路が出来たとき分断されましたが、鐘ヶ淵の北には隅田川と荒川の間をつなぐ約450mの旧綾瀬川が流れています。
 写真は、荒川区汐入公園から見た旧綾瀬川。合流点の足立区側にある水色の建物は伊澤造船という造船所です。こんなところに造船所があるとは知りませんでした。
    2010年8月30日撮影
   
第64景 「堀切の花菖蒲」
  撮影地:葛飾区堀切2丁目19-1 堀切菖蒲園

 堀切にはじめて花菖蒲が伝来したのは、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて培養させたのが始まりとも、文化年間(1804〜1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万円録三郎から「十二一重」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりとも言われています。
 堀切菖蒲園は明治になってからの開園で、広重はここの花菖蒲を描いたわけではありませんが、堀切で花菖蒲といえば堀切菖蒲園なので、菖蒲まつり開催中(6/1から6/20)に撮影しました。
 2010年6月7日撮影
   
第65景 「亀戸天神境内」
  撮影地:江東区亀戸3丁目6-1 亀戸天神

 亀戸天神は寛文2年(1662)九州大宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真の像を造り、祀ったのが創建といわれています。江戸時代から学問の神様として信仰を集め、梅や藤の名所として有名でした。
 5月の藤まつりの際にも来ているのですが広重の絵を意識していなかったので、とりあえず藤の花は咲いていない11月の写真を使いました。再度撮り直しするつもりです。

    2010年11月5日撮影
   
第66景 「五百羅漢さゞゐ堂」
  撮影地:江東区大島4丁目5

  五百羅漢は、元禄8年(1695)に松雲元慶禅師により創建された黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院です。禅師は貞享年間(1684〜88)に江戸へ出て、元禄4年(1691)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄8年、将軍徳川綱吉から天恩山五百阿羅漢寺の寺号と六千坪余の寺地を賜り、ここに自ら彫像した羅漢像など536体を安置しました。
 当寺の三匝堂(さんそうどう)は、廊下がらせん状に三階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつでした
羅漢寺は明治20年(1887)本所緑町(現墨田区)へ移り、さらに同42年(1909)現在地(目黒区)へ移転しています。

  現在跡地には昭和33年に建てられた石碑があり、通りを挟んだ向かい側には「曹洞宗 羅漢寺」が建っています。写真は、石碑の傍から、通りの向かい側の羅漢寺を撮ったものです。
    2010年6月1日撮影
   
第67景 「逆井のわたし」
  撮影地:江戸川区小松川2丁目 旧中川沿い

 逆井(さくらい)の渡しは、江戸から亀戸村を経て、下総の佐倉へ通ずる街道(元佐倉道)の中川に設けられていた渡しです。
 綾瀬川と同様、荒川放水路が出来たとき中川も分断され、逆井の渡しのあった場所は旧中川として流れています。
 写真は逆井橋の下流から逆井橋方向を撮ったものです。
   2010年6月5日撮影
   
第68景 「深川八まん山ひらき」
  撮影地:江東区富岡1丁目20-3 富岡八幡宮

 「深川八まん山ひらき」は富岡八幡宮を管理する別当寺の永代寺の庭園を描いたものです。富岡八幡宮の方が有名だったのでこのようなタイトルにしたのでしょうか。
 永代寺の敷地だった深川公園や深川不動尊、富岡八幡宮の境内で撮影場所を探していたところ、富岡八幡宮の境内の東にある七渡神社の雰囲気がよかったので、こちらで撮りました。

富岡八幡宮

   2010年8月28日撮影
   
第69景 「深川三十三間堂」
  撮影地:江東区富岡2丁目 八幡橋東交差点付近

 富岡八幡宮の東、富岡2丁目辺りに深川三十三間堂はありました。富岡2丁目の道路沿いに「三十三間堂跡」のモニュメントが建っています。

「三十三間堂は京都の三十三間堂に模して寛永19年浅草に創建され 焼失後元禄11年富岡八幡宮の東隣に再建されたが 明治5年廃され堂の遺物は深川2丁目正覚寺に移された 当時ここにおいて弓術の練習と競技が行われたことは有名であった」とモニュメントには書かれています。
 三十三間堂は南北66間(約118.8m)、東西4間(約7.2m)四面廻り緑の堂でした。碑の前にあるモニュメントの矢の絵は1間(約1.8m)の長さを表しています。
    2010年8月28日撮影
   
第70景 「中川口」
  撮影地:江東区大島8丁目1 番所橋

 広重の絵で、左から右に流れているのが中川、それに交差している手前の川が小名木川で、その先へ絵の奥へ流れているのが新川です。左側が北で、中川の上流側になります。十字型に描いてあるとわかりやすいのですが、十字を外した形に描いてあるのでわかりずらくなっています。中川船番所が少しだけ左端に描かれています。

 写真は小名木川に架かる番所橋中央から。左から右に流れているのが旧中川です。新川は埋め立てられて大島小松川公園(風の広場)になっていまが、その先の荒川、中川を渡った江戸川区船堀と葛西の間には新川はまだ存在していて、妙見島近くで旧江戸川につながっています。
  2010年8月17日撮影
   
 
   
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