名所江戸百景を歩く 第81景〜第90景
   
第81景 「高輪うしまち」
  撮影地:港区高輪2丁目16付近

  江戸の南の入り口、高輪の大木戸を出た所にあったのが、車町、俗称牛町です。
 江戸時代、寺社の建立や埋め立て等の土木工事に使われる巨大な石や木材等の運搬には牛車が使われていました。徳川幕府は京都四条車町の牛屋を招いて運搬に従事させていましたが、1639年には牛車の置き場として芝高輪海辺四町余の土地を牛屋に与えました。これが車町の起源です。
 江戸時代は現在のJRの線路あたりまで海で、品川沖の御台場も描かれています。
 写真は、高輪大木戸跡の南側、旧東海道の第一京浜(国道15号)からの風景です。

 高輪大木戸跡

     2010年9月15日撮影
   
第82景 「月の岬」
  撮影地:品川区北品川1丁目 八ツ山橋

  題名からは場所がどこだか分りませんが、広重の他の作品から品川の八ツ山からの眺めという説が多いようです。
ただ、部屋は品川の妓楼「土蔵相模」を転用したようで、現在の北品川にあった「土蔵相模」跡付近とする説もありますが、今回は八ツ山橋西詰から東のビルのないところを狙って撮りました。

 旧東海道沿いにある土蔵相模跡。現在はコンビニになっていました。


   2010年9月11日撮影
   
第83景 「品川すさき」
 
  撮影地:品川区東品川1丁目 利田神社付近

 江戸時代の目黒川は、現在のようにまっすぐ東へ伸びて東京湾に注いではいず、洲崎橋付近で北西に向きを変え品川浦へ繋がっていました。洲崎はその目黒川に沿って伸びた細長い土地で、その先端に弁財天(現在の利田神社)がありました。
 絵の手前は目黒川の河口で、中央にあるのが弁財天です。右上には御台場も描かれています。
 写真は、俯瞰に近いイメージにするため、近くの歩道橋の上から利田神社方向を撮りましたが、神社は街路樹と建物の陰で見えていません。

  品川浦舟だまり。

 
    2010年9月11日撮影
   
第84景 「目黒爺々が茶屋」
  撮影地:目黒区三田2丁目11付近

 現在の目黒区三田2丁目にある茶屋坂は江戸時代富士の眺めがよい所で、坂の上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休みました。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれるようになりました。以来将軍が目黒筋へお成りの時は立ち寄って銀1枚を与えるのが例であったそうで、10代将軍家治が立ち寄った時には団子と田楽を作って差し上げたりしているそうです。
 こんなことから落語「目黒のさんま」の話が生まれたとも言われています。
 写真は、現在の茶屋坂の上からの眺めです。
 2010年10月27日撮影
   
第85景 「紀ノ国坂赤坂溜池遠景」
  撮影地:港区元赤坂2丁目 弁慶堀沿い

  紀伊国坂は、外堀通りを赤坂見附交差点を過ぎたあと、弁慶堀と赤坂御用地の間を通って四谷方面へ登る坂です。
坂上の紀之国坂から東に曲がるとと喰違見附跡があります。
 坂の西側には、江戸時代坂の名前の由来となった紀州藩上屋敷がありましたが、現在は赤坂御用地、迎賓館となっています。絵にも右端に紀州藩上屋敷の火の見櫓が描かれています。
  写真は弁慶堀が緩やかに曲がった付近から東方の風景です。

迎賓館

    2010年9月7日撮影 
   
第86景 「四ッ谷内藤新宿」
  撮影地:新宿区新宿3丁目4付近

  内藤新宿は甲州街道の四谷大木戸から新宿追分(甲州街道と青梅街道の分岐点)までの間にあった宿場町で、今でいうと、新宿通りの四谷4丁目交差点から新宿三丁目交差点付近までの間になります。
  甲州街道最初の宿場の高井戸(現杉並区)は日本橋から4里8丁(16.6km)もあり不便たったので、元禄11年(1698)6月、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衛らの願いにより、新たな宿場として「内藤新宿」が開設されたそうです。
  写真は、新宿3丁目交差点と2丁目交差点の中間あたりから四谷4丁目交差点方向を撮りました。
    2010年11月13日撮影
   
第87景 「井の頭の池弁天の社」
  撮影地:東京都三鷹市井の頭四丁目 井の頭公園

 第87景の場、井の頭公園は名所江戸百景に描かれた場所の中でもっとも西にあります。もっとも近いのが第50景「角筈熊野十二社」の西新宿なのでこの景だけ離れた場所にあり、そもそも、”江戸”ではありません。
 江戸時代、井の頭池からは江戸に神田上水を引いていました。そのため井の頭池にある弁財天は信仰の地であるとともに行楽地にもなっていたようです。

 写真は弁財天前の石段上から。井の頭池は木々で見えず、太鼓橋は見えますが、赤い本堂は紅葉のため判りずらくなっています。

弁財天

   2010年11月24日撮影
   
第88景 「王子滝の川」
  撮影地:北区滝野川4丁目8 石神井川沿い

  石神井川の王子付近では、現在は無くなってしまいましたが両岸が切り立った崖で滝がいくつもも流れていたことから滝野川と呼ばれ、春の桜、秋の紅葉の名所として知られていました。
 絵で右端に描かれている滝は弁天の滝と呼ばれ、その左、崖下の鳥居が立っている洞窟の中には弁財天像が祀られ、松橋弁財天、岩屋弁天と呼ばれていました。

 現在松橋弁財天洞窟のあった付近は水辺公園となっており、洞窟はなくなっています。
 写真は上流の滝野川橋近くから、水辺公園付近を撮ったものです。

水辺公園。右側が石神井川。

   2010年9月2日撮影
   
第89景 「上野山内月のまつ」
  撮影地:台東区上野公園 

  第11景「上野清水堂不忍ノ池」でも左側に描かれていた妙な枝ぶりの松のアップです。
なんとかこんなひねくれた枝はないかと探したのですがないので、素直に清水寺観音堂の下から不忍池の弁天堂方向を撮影。

不忍池の弁天堂

    2010年11月10日撮影
   
第90景 「猿わか町よるの景」
  撮影地:台東区浅草6丁目18、19付近

 江戸時代、歌舞伎は大衆に支持される一大娯楽でしたが、幕府は風紀の乱れを恐れ統制を強め、「天保の改革」で日本橋周辺にあった芝居小屋を浅草寺北東の当地へ強制移転させました。
 江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎(のちの初代中村勘三郎)の名から「猿若町」と命名された土地には、芝居小屋、芝居茶屋、役者や芝居関係者の住まいが造られ、大勢の江戸の人々が「猿若三座」の歌舞伎や人形浄瑠璃を見物に訪れました。 
 芝居小屋としては、1丁目には中村座及び薩摩座、2丁目には市村座および結城座、そして3丁目には河原崎座が移転してきましたが、このうち中村座、市村座、河原崎座は「猿若三座」と呼ばれました。
 写真は猿若町碑、市村座跡碑、守田座跡碑のある通り沿いに北方向を向いて撮ったものです
  2010年6月11日撮影
   
 
   
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