名所江戸百景を歩く 第91景〜第100景
   
第91景 「請地秋葉の境内」
  撮影地:墨田区向島4丁目9-13 秋葉神社境内

  請地は、領主から管理を委託された地頭が支配する土地のことで、向島の請地にあった満願寺の住職が秋葉権現を勧請して秋葉神社を建立しました。境内には築山や池が造られ作られて、観光名所となっていたそうです。
  秋葉神社は、現在の住所でいうと墨田区向島4丁目、水戸街道沿いにあります。向島5丁目信号のすぐ先の細い路地を抜けた先に建っているのですが当時は秋葉神社のような広さはなく小さな公園程度。
ブログ掲載時は水戸街道に沿いを撮った写真を使いましたが、道路と建物と言う普通の写真だったので、ここでは秋葉神社鳥居近くから路地方向を撮った写真を使うことにしました。
     2010年10月23日撮影
   
第92景 「木母寺内川御前栽畑」
  撮影地:墨田区堤通2丁目16-1付近

 江戸時代、向島の水神社(隅田川神社)から少し隅田川を上流にいったところに、内川(入江)が入り込んでいました。題名にも使われている御前栽畑(徳川将軍の食事に供する野菜を栽培する畑)はその内川の北側に、木母寺は南にありました。
 木母寺(もくぼじ)は、謡曲「隅田川」に登場する梅若丸を供養するため、976年に梅若塚と念仏堂が建てられたのが始まりとされています。平安中期、梅若丸が人買いにかどわかされて京都から連れてこられ、ここで病を発して死んでしまう。そこへ来合わせた僧中円が不憫に思い「梅若塚」を築いた。翌年、子供をさらわれ狂女となった母がわが子を探してこの地にたどり着き、幻の中で梅若と対面するというのが、「隅田川」の筋です。
 ちなみに寺の名は「梅」の字を「木母」と分けて書いたものとのこと。
 
 現在、木母寺は墨田区東白髯公園内にありますが、江戸時代には今の位置より少し東側にあったそうです。
 写真は、現木母寺の前から北の方を見て撮ったもの。もう少し東に寄ったほうがよかったかもしれませんが、グラウンドがあるのと樹木とアパート群が多くなるのでこの辺にしました。
   2010年9月26日撮影
   
第93景 「にい宿のわたし」
 
  撮影地:葛飾区亀有2丁目 中川沿い

 江戸の千住宿と水戸をつなぐ水戸街道、その宿場の亀有と新宿(にいじゅく)の間の中川の渡し舟が「新宿の渡し」です。現在ではJR亀有駅の南東約700メートルに架っている中川橋付近です。
 写真は中川橋川下側から中川橋を中心に対岸の新宿(にいじゅく)方向を撮りました。
    2010年11月2日撮影
   
第94景 「真間の紅葉手古那の社継はし」
  撮影地:千葉県市川市真間4丁目9-1 弘法寺

 この絵は江戸百の中で最も東の場所で、千葉県市川市真間にある真間山 弘法寺(ぐほうじ)の境内から楓の木の幹と幹の間から手古那の社を見下ろしている絵です。
 昔この付近は「真間の入江」とよばれましたが、入江の口には幾つかの洲ができていて、その洲から洲に掛け渡された橋が、「真間の継橋」でした。
写真は弘法寺の石段の上から真間の継橋の方を見下ろして撮ったものです。木々が邪魔で継橋は見えません。

手児奈霊神堂の手前にある継橋(つぎはし)。

 2010年11月21日撮影
   
第95景 「鴻の台とね川風景」
  撮影地:千葉県市川市国府台3丁目9付近 江戸川沿い

 現在の千葉県市川市国府台の西を流れているとね川(現在の江戸川)を描いた景です。
 江戸川沿いに少し歩いて、絵のように川のそばまでせり出している台地を探しましたがなかったので、里見公園の北側の江戸川沿いの道路に降りた所から写真を撮りました。
    2010年11月22日撮影
   
第96景 「堀江ねこざね」
  撮影地:千葉県浦安市堀江1 神明橋 

 千葉県浦安市の中央を西から東に流れ東京湾に注いでいる江戸川の支流・境川。江戸川近くの境川両岸に堀江町、猫実町があります。
 江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北側が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ漁業を生業としていました。
 昭和になっても漁業が盛んで、2千艙近くの船がびっしりと係留され、とってきた魚介類を荷揚げする光景があちらこちらで見られたそうですが、昭和46年(1971)に漁業権が全面放棄され、現在では漁師町の面影を失っていしまっています。
 写真は、境川に架かる神明橋から西側の風景。絵の右にある鳥居は豊受神社ですが、写真中央の江川橋の北側には今も豊受神社があります。
    2010年9月12日撮影
   
第97景 「小奈木川五本まつ」
  撮影地:江東区猿江2丁目16 小名木川橋北詰

 小名木川は隅田川と中川を結ぶ水路で、広重は西の万年橋を第56景「深川万年橋」で、東の中川御番所付近を第70景「中川口」で描いています。
 小名木川の五本松は、江戸時代小名木川の中程に丹波綾部藩の九鬼家の下屋敷があり、その庭に聳えていた松です。徳川三代将軍家光公がその小名木川の川面に張り出した立派な老松を激賞したことから、この地は「小名木川五本松」として、又、月見の名所として一躍江戸市民の人気を博しました。

 写真は小名木川橋の北詰、現在は3本の松が植わっている傍から撮ったものです。
   2010年6月1日撮影
   
第98景 「両国花火」
  撮影地:台東区柳橋1丁目 柳橋

 両国の花火は、享保17年(1732)に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うため、翌年5月28日に両国の川開きをおこない、花火打ち上げたのが始まりといわれています。
 打ち上げていたのはは「かぎやー」「たまやー」の掛け声で知られる、鍵屋と分家の玉屋で、両国橋の上流を鍵屋、下流を玉屋が分担していました。鍵屋という屋号は、守護神である稲荷のお狐さま2匹が「鍵」と「玉」をそれぞれくわえていたことから「鍵」の方をとって鍵屋、暖簾分けした際にはもう1つの「玉」をとって玉屋としたそうです。
 写真は、両国橋のすぐ手前で隅田川に注いでいる神田川の柳橋から。


 絵では大きく広がった花火の横にある火の玉の軌跡は落下しています。これは打ち上げ失敗した火の玉なのでしょうか。広重なら失敗した花火の軌跡を中央に描いてもおかしくないですが。
   2010年11月27日撮影
   
第99景 「浅草金龍山」
  撮影地:台東区浅草1丁目 雷門前

  この絵は浅草寺 風雷神門(雷門)から宝蔵門(仁王門)と五重塔を描いたもの。現在は五重塔は左側に移動しています。
 また、提灯の文字は現在の「雷門」ではなく、「志ん橋」です。「志ん橋」提灯は現在本殿に下がっています。
 正面から撮りたかったところですが、観光客が多くて、朝早く来ないとこの絵のような写真は撮れそうもありません。

現在は本殿にさがっている「志ん橋」提灯。
    2010年10月5日撮影
   
第100景 「よし原日本堤」
  撮影地:台東区東浅草1丁目4付近

 新吉原へ行く客が隅田川から舟できて、山谷堀から新吉原へ歩いて行く通り道だったのが日本堤でした。堤の中ほど、吉原の番所の傍に、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつこの柳のあたりで遊廓を振り返ったということから”見返りの柳”と呼ばれた柳があり、絵の右端に描かれています。

 写真は土手通りにある紙洗橋交差点の手前から、「見返り柳」碑がある吉原大門方向を撮ったもの。
  2010年10月5日撮影
   
 
   
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