小名木川を歩く1
旧中川合流部〜小名木川橋 
2011年6月29日
歩行開始は小名木川の東端、旧中川との合流地点からとしました。
この付近は広重が、名所江戸百景 第70景 「中川口」として描いています。

旧中川上流側に架かる中川大橋から。右側からの流れが小名木川。
小名木川は旧中川に合流したあと新川となってさらに東へ延びていましたが、今は埋め立てられ大島小松川公園になっています。

その大島小松川公園から。手前を右がら左に流れているのは旧中川。
公園内に残る旧小松川閘門。
新川が旧中川に達していたときの水門かと思いきや、昭和の初めに荒川と旧中川の間に水位差を解消するために造られた閘門の片方が残されたものでした。
左隅に移っているのは東京スカイツリーです。
合流部南西側から。左手の小名木川に沿って、南岸を西へ。
合流点近くにある最初の橋の名は「中川船番所」にちなんで番所橋です。
整備された石積風の護岸に沿って、まっすぐな道を進みます。
この黄色い橋は、歩行者・自転車専用橋で塩の道橋(しおのみちばし)。
江戸時代、小名木川が千葉県の行徳から江戸に塩を運ぶルートとして重要な役割を果たしていたことから名付けられた名前だとか。

きれいに整備されているのはいいのですが、景色に変化が乏しく、蒸し暑くてコンクリートの照り返しもある中を歩いているとくじけそうになります。

次の丸八橋手前で対岸を見ると、神社が見えたので気分転換がてら寄ってみることにしました。


丸八橋のたもとにあるのは大島稲荷神社です。
鳥居の手前には松尾芭蕉の像が建っています。
元禄5年(1692年)、松尾芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で大島稲荷神社に参拝し、「秋に添て行はや末は小松川」という句を詠みました。
後年芭蕉をしのんだ俳人たちによって境内にその句を刻んだ句碑が建立されましたが、それが写真左の「女木塚」だそうです。
丸八橋の上から見た東側。
西側。まだ、美化整備された道が、まーっすぐ続きます。
次の砂島橋の先の護岸には「小名木川旧護岸」のモニュメントがありました。
左側の目盛は徐々に高くしていった護岸の高さ、右側は東京湾の水位を示しています。
中央の「小名木川『かさ上げ護岸』の歴史」説明によると、
 このあたりはもともと低地でしたが、明治末期からの工業地帯としての発展から地下水の過剰な汲み上げにより地盤沈下が進行。荒川と隅田川に囲まれた江東三角地帯は東京湾の満潮水位以下となってしまいました(いわゆる「ゼロメートル地帯」)。そのため、この一帯を水害から守るために、小名木川を始めとする江東内部河川の護岸は、かさ上げを余儀なくされました。しかし、応急対策としての度重なるかさ上げによって護岸は構造的に脆弱化し、地震が発生した際の崩壊の水害の危険がありました。
 そこで1971(昭和46)年から江東内部河川整備事業に着手、北十間川樋門と扇橋閘門によって江東内部河川を荒川などの周辺河川から締め切って水位低下対策が1993(平成5)年に完成し、現在は不要となったかさ上げ部分を削って整備を進めているそうです。
明治通りが通っている進開橋の手前で、小名木川沿いの遊歩道は終了し、この先は現在工事中。
進開橋上から西側を見ると、西側100mほど先まで整備工事中です。
鉄橋は越中島−新小岩間を結ぶ総武本線越中島支線の小名木川橋梁。南側(写真左側)には以前越中島支線の小名木川駅があったのですが、今はショッピングセンターなどになっているようです。
越中島支線の下をくぐって、次のクローバー橋へ向かいました。
小名木川クローバー橋は、小名木川と横十間川の合流部に架かる歩行者・自転車専用橋で、中央部でX字に交差して架けられていて北西岸の猿江、北東岸の大島、南東岸の北砂、南西岸の扇橋を結んでいます。
(yahoo!地図から)
 
 南側、横十間川。ここから横十間川はしばらく親水公園となっていて、歩きやすくなっています。
 今まで歩いてきた東側、小名木川。
 北側、横十間川。川沿いに進むと、亀戸天神の西側を通って北十間川に達します。
 これから歩く西側。クローバー橋から先は川沿いに建物があるため歩けません。

南側を迂回して次の四つ目通りが通っている小名木川橋へ。
 小名木川橋の北詰には広重の名所江戸百景 第97景「小名木川五本まつ」に描かれたほど有名だった松があったことから、今でも松が植えられ、「五本松跡」の碑が建っています。


  小名木川橋で流域のほぼ中間点まで来たことだし、地下鉄住吉駅も近かったので、この日はここまでとしました。
   
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   2011年7月18日作成
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