小名木川を歩く3
大富橋〜隅田川合流部 
2011年7月01日
大富橋を過ぎて、次の東深川橋へ。
東深川橋。やはり震災復興橋梁でしたが、昭和53年(1978)に架替えられた橋です。
西深川橋。この橋も昭和5年(1930)架橋された震災復興橋の一つで、架橋時は新高橋と同じ型だったようです。
この橋の北詰東側にはシーラカンスのようなモニュメントが建っています。以前来た時に調べたら、
造形作家の方のデザインで、題名は「ゴンベッサ」、”行ききかう人々の安らぎをテーマに重厚で落ち着いた雰囲気のモニュメント”
だそうです。
また、橋の南東側の建物の壁には、レンガ壁が一部が残されていました。
明治34年から約100年この地にあったレンガ造り建築を取り壊すにあたって、地域住民の要望からその出入口の一部を保存したものだそうです。
これまで新高橋からここまで橋の下を通ってきましたが、この西深川橋の下だけは浮橋となっていました。
高橋。手前には船着き場があります。
この橋の通りを南に300mほど行けば、清澄公園です。いつもなら寄るのですが、天気が悪いのでこのまま進むことにしました。
葛飾北斎が「たかばしのふじ」という絵で高橋越しに見る富士山の風景を描いていますが、その当時の高橋は帆船を通すため橋の中央が高い円弧状になっていました。渡りづらそうです。
高橋の西側には新小名木川水門があります。
これまで小名木川沿いは松が植えられていましたが、ここだけは桜並木になっていて、春はなかなかきれいそうです。
 水門手前で道は行き止まりとなりました。少し戻った所に路地への抜け道があるので、そこから最後の橋の萬年橋へ向かいました。
萬年橋。

 萬年橋も葛飾北斎が「富嶽三十六景」の「深川万年橋下」という作品で万年橋越しに富士山を見る風景を描いています。
 小名木川が千葉方面から塩や、野菜、東北地方の米などを江戸に運ぶ重要な航路だったため、高橋と同じく船の通航を妨げないように高く架けられていました。
 萬年橋から見た隅田川との合流点。左側の青い橋は清洲橋。
北詰から見た清洲橋。
”ケルンの眺め”というそうですが・・・。
 北詰には「川船番所跡」説明板があります。
「川船番所跡 常盤1-1付近)
 川船番所は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。
 設置の年代は明らかではありませんが、正保4年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。江戸から小名木川を通り利根川水系を結ぶ流通網は、寛永年間(1624〜44)にはすでに整いつつあり、関東各地から江戸へ運ばれる荷物は、この場所を通り、神田・日本橋(現中央区)など江戸の中心部へ運ばれました。こうしたことから、江戸の出入り口としてこの地に置かれたことと思われます。建物の規模などは不詳ですが、弓・槍などがそれぞれ5本ずつ装備されていました。
 明暦3年(1657)の大火後、江戸市街地の拡大や本所の掘割の完成などに伴い、寛文元年(1661)中川口に移転しました。以降中川番所として機能することとなり、当地は元番所と通商されました。
平成14年10月 江東区教育委員会」
隅田川合流部南側から見た萬年橋。
合流部北側には芭蕉庵史跡展望公園があります。
芭蕉像の背後には東京スカイツリーがかすんで見えます。天気がよければもっとはっきり見えたのですが。
最後は小降りの雨に追い立てられ急ぎ足になりましたが、小名木川歩きはここで終了。
小名木川の東側の流域は、きれいに整備されていましたが、反面コンクリートで囲われ人工的すぎるように感じました。
一方西側はカラスがいたり、橋の下にはごみがあったりしましたが、樹木も植えられ歩きやすかったです。
   
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   2011年7月18日作成
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