大横川を歩く3
三石橋〜平木橋 
2011年7月26日
三石橋から東岸の桜並木の下を歩いて南へ。

福寿橋。今回初のトラス橋です。
やはり関東大震災後の震災復興橋の一つです。
橋の西詰には江東区の方角を示したような日時計?が設置されていました。
次の大栄橋もトラス橋で、震災復興橋1つのようです。
江東区の木場、深川には、小名木川、大横川に架かけられた震災復興橋のトラス橋が多く残っていて鉄骨橋好きとしてはとてもうれしいエリアです。
 大横川は大栄橋のすぐ南で、仙台堀川と交差しています。
西側。写真右側が木場公園の北を流れる仙台堀川。木場公園大橋が木々越しに見えています。左側は大横川。
南側。大横川に架かる茂森橋。この橋は、7/8のタモリ倶楽部で「最低橋」として取り上げられていました。
最低とはいっても、一番ヒドイ、という意味ではなくて、満潮になると船が通れなくなるほど桁下が低い橋、という意味で、番組では「満潮になったら通れない!! 最低橋リンボー・クルージング」と題してこの後の沢海橋、大横橋に続き、メインで茂森橋を取り上げていました。写真を撮った時刻はこの日の東京湾の満潮時近くでしたが、日によってはもっとぎりぎりになるようです。
また、斜めになっているのは東側(写真左)が地盤沈下しているから、とのこと。
東側。仙台堀川は、小名木川の東端に近い北砂町の合流点からここまでの3.7kmが埋め立てられて仙台堀川公園となっています。
仙台堀川公園の西端にあるこの施設は、仙台堀川サイフォンと呼ばれるもので、サイフォンの原理で仙台堀川から取水して親水公園内の水路に流しているようです。


(下写真)
大栄橋の上からパノラマで撮ってみました。
西側の仙台堀川に架かる崎川橋を渡って茂森橋へ。

崎川橋から見た仙台堀川サイフォン。中央に並んだ機械はサイフォンの一部でしょうか。
崎川橋から見た木場公園大橋。
南側から見た茂森橋。タモリ倶楽部ではこちら側から橋の下への突入を試みていました。
木場公園の東側に沿ってもうしばらく南へ進みます。
茂森橋の南に架かっている豊木橋。
豊木橋のすぐ南側で、東からきた横十間川が合流しています。
コンクリートの塊のような建物の反対側上部には「木場ポンプ所雨水吐口脱臭塔」と書かれています。
この施設で脱臭した水を大横川の川底から噴出させているようです。
大横橋。この橋もタモリ倶楽部で”最低橋”として紹介されていました。
橋の上から見た南側。

そのまま西岸を進むと、ちょうど西側に木場公園がなくなったところで川岸沿いの遊歩道も終わります。
迂回して永代通りが通っている沢海橋にでました。
東西線木場駅のすぐそばのためか、沢海橋の上に駐輪されたたくさんの自転車。
沢海橋の南側で大横川は西に向きを変えます。
西に向きを変えた直後、分岐して支流の大横南川支流は弁天橋の下を南へ。
本流は建物の間を西に流れていきます。ここから先はしばらく川沿いの遊歩道はなさそうです。
弁天橋の西にある洲崎神社に寄ってお詣り。
境内にある波除碑
「東京都指定有形文化財(歴史資料)
波除碑   洲崎神社碑
所在地 江東区木場6-13-13 洲崎神社境内
指定  昭和51年6月4日
 寛政3年(1791)9月4日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明が出た。
 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西285間、南北30余間、総坪数5,467坪(約1万8千平方メートル)を買い上げて空地としこれより海側に人が住むことを禁じた。そして空地の東北地点(州崎神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。当時の碑は地上6尺、角1尺であったという。
 石碑は砂岩で脆く、震災と戦災によって破損が著しい。現在地は現位置から若干移動しているものと思われる。
 建設は寛政6年(1794)頃で碑文は屋代弘賢によるものと言われている。
平成4年3月31日 建設  東京都教育委員会」

洲崎神社を出ると、鳥居の目の前の道路を挟んだ細い路地へ。
歩行者専用橋の新田橋。いい雰囲気を出している橋です。
 隣の平木橋から。
 平木橋は三つ目通りに架かっています。また見えている高架は首高速9号深川線です。

といったところで、2回目はここまでとしました
   
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   2011年9月2日作成
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