大横川を歩く4
平木橋〜大島川水門
2011年8月5日
大横川を歩く3回目は、木場駅の南、平木橋から。

平木橋の南の歩道橋から。平木橋の南でそれまで三つ目通りの上を通っていた首都高速7号線は北西にそれていきます。
平木橋周辺は川沿いを歩けないので、西側の深川ギャザリアの前を通ってを迂回して次の平野橋へ。
平野橋から見た平木橋方向。
平木橋西側。平久川と交差しています。少しずれて斜めに交差しているので、この位置からだと川に合流しているようにも見えます。
交差点付近。写真左右の流れが平久川。
交差点の南側、平久川に架かる平久橋(へいきゅうばし)。またもトラス橋、やはり昭和2年(1927)架橋の鋼製の震災復興橋梁でした。
この橋の西詰には、洲崎神社にあったものと同じ「波除碑」があります。
「東京都指定有形文化財(歴史資料)
波除碑 
所在地 江東区深川牡丹3-33 平久橋西詰地
指定  昭和17年9月
 寛政3年(1791)9月、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た。
 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西285間、南北30余間、総坪数5,467余坪(約1万8千平方メートル)を買い上げて空地とした。そして空き地の両端の北地点に波除碑を2基建てた。当時の碑は地上6尺、角1尺であったという。
 碑はほとんど旧状を失っており、特に平久橋碑は上部3分の2を失っている。位置は旧地点を若干移動しているものと思われる。
 建設は寛政6年(1794)頃。碑文は伝屋代弘賢、品質は伊豆五ケ村石(砂岩)。
 総高130.8センチメートル
平成12年3月設置 東京都教育委員会」


実は碑より気に入ったのが、右側の住所の札に記載された”牡丹”の町名。由来は江戸末期から明治にかけてこの界隈で競って牡丹を栽培して商ったことによるものらしいです。こういう町名、好きですね。
平久橋からは道沿いに進んで交差点の西側で大横川に架かる東富(とうとみ)橋へ。
このトラス橋も昭和5年(1930)架橋の震災復興橋梁。
中央の欄干にある江東区無形文化財の山崎喜作氏の繍画刺繍 「深川八景(深浜風景)」 のプレート。
東富橋から見た大横川と平久川の交差点。
また、南詰の小空間には「松平定信 海荘跡」の説明板がありました。
「松平定信 海荘(はまやしき)跡 牡丹3、古石場2・3付近
 松平定信はは陸奥白河(現福島県)藩主で、天明7年(1787)に老中となり寛政の改革を実行したことで知られています。海荘は、隠居後の文化13年(1816)に入手した抱屋敷で「深川海荘」とも呼ばれました。
 定信は政治家・学者としての側面のほか造園家としても著名で、築地の浴恩園(よくおんえん)、大塚の六園(りくえん)、領地白河の三郭四園(さんかくしえん)、南湖公園(なんここうえん)といった庭園を造りました。海荘には、これら四園の趣向を取り入れた庭園を築きました。
 園内には東西に二つの池があり、池を掘るときに出た土で二箇所の築山を築き、それぞれに「松月斎」「青圭閣」と名付けた休息所を建てました。定信は花木を好み、梨園や芍薬の花畑を作ったほか、桜や躑躅(つつじ)、松、楓などさまざまな草木を植えました。なかでも普賢象(ふげんぞう)という遅咲きの桜をとくに愛し、桜の季節には浴恩園や六園で花見を楽しみ、最後に世間の桜が散るころに花盛りを迎える海荘の普賢象を鑑賞したといいます。
 この園内の様子は、国立国会図書館に所蔵されている「深川入船町御邸松月斎真写之図」に詳しく描かれています。
平成20年3月 江東区教育委員会」

寛政の改革(1787〜1793)をおこなった節約倹約の人も、隠居後は結構趣味を楽しんでいたようです。

大横川の東富橋から西側は南岸が遊歩道なっているのでそちらを進むことにしました。
東富橋から大横川南岸を西へ。
桜並木が続きます。
巴橋。この橋を渡って北へ進むと200mほどで富岡八幡宮の西側にでます。
桜並木の下、木陰を歩いていると川沿いに風が吹いてきて歩きやすいです。
石島橋。
橋の中央には何やら石のモニュメント。欄干は松ぼっくり模様で、
歩道と道路の間のガードレールは松葉、
橋の親柱には松ぼっくりがぎっしり描かれています。
なぜこれだけ松にこだわっているのか?理由は調べたけれども不明のままでした。
桜並木の下、さらに進んで次の黒船橋へ。
近くにある黒船稲荷神社にちなんだ橋名のようで、尾張屋板江戸切絵図にも記載されています。
欄干には帆掛け船が、
歩道には船の形をしたプランター?が並んでいるなど、黒船橋はは船尽くしでした。
黒船橋を過ぎると、大横川はいったん大きく左へ曲がります。
越中島橋
越中島橋の先で大横川は今度は右へ。
両岸とも遊歩道になっていますが、南岸(左側)は次の練兵衛橋がヤマタネ(株)の専用橋になっているため、橋の手前で行き止まりとなっています。
北岸(右側)を進むと練兵衛橋と大島川水門が見えてきました。
練兵衛橋の隣に架かる越中島連絡橋
越中島連絡橋の西側で、大島川西支流が大横川に合流します。
大島川水門。名称が大横川水門ではなく大島川水門である理由は、昭和40年の河川法改正前は木場5丁目から西へ向かい隅田川に注ぐ部分は大島川と呼ばれていたためです。
越中島公園西端から見た大島川水門。


大横川は比較的川に沿って歩くことができるので歩きやすかったですが、桜並木が続くので春、花見ついでに歩くのがおすすめです。
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   2011年9月2日作成
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