隅田川を歩く6
京成電鉄鉄橋〜千住大橋〜日比谷線隅田川橋梁
2011年2月26日
京成本線高架に沿って再び堤防横の道に出ると、川下へ。千住大橋まであと少し。

三河島水再生センター側から隅田川へと頭上を横切っているのは・・・
ん?
ベルトコンベアーをべルコンと縮めるのは業界用語かもしれないのでいいとしても、コンクリート『魂』?
どんな『たましい』なんでしょうか。コンクリート塊の誤記でしょうけど(笑)
その先のアクロシティ前はスーパー堤防化によりテラスになっています。
川岸に立っている鉄骨、しかも少し傾いている、は何なのでしょうか。
先ほどのベルコンと使われなくなった水門。
下流側。この先もまたカミソリ堤防が続きます。
水色の東京電力送電橋。白い千住水管橋。その向こうに千住大橋。
熊野神社。
「熊野神社
 創建は永承5年(1050)m源義家の勧請によると伝えられる。
 大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は当社に成就を祈願し、文禄3年(1594)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行った。以降、大橋のかけかえごとの祈願と社殿修理が慣例となった。
 また、このあたりは材木、雑穀などの問屋が立ち並んで川岸とよばれ、陸路奥州道中と交差して川越夜舟が行きかい、秩父・川越からの物資の集散地として賑わった。
荒川区教育委員会」
千住大橋の手前にある「千住の河岸」の説明板。
   
千住大橋に到着。
旧橋
日光街道(国道4号線)が通る千住大橋。
旧橋は、その姿からも予想できますが、関東大震災後の震災復興事業の一環として、昭和2年(1927)に架橋。
新橋。昭和48年に川下側に新橋が架けられました。
旧橋は下り、新橋は上り専用車線となっています。(と書きながら車が写っていないですが、・・)
旧橋を渡って左岸にある千住大橋公園へ。
大橋公園には、芭蕉の 「奥の細道」 が千住から始まったのを記念した「奥の細道矢立初の碑」があり、「おくのほそ道行程図」も掲示されています。
また、ここから堤防を登って橋の下のスペースに出ることができます。
 
橋下のスペースから。
千住水管橋があるため、せっかくの旧橋の全景が見えません。下流からも新橋があるので見えないが残念です。。
橋下のスペースにはいろいろ掲示してあります。
また、上流側と下流側の間に”千住小橋”が架かっていて、旧橋側から新橋側へ行くことができます。
千住大橋が最初に架けられたのは、徳川家康が江戸城に入って4年目の文禄3年(1594)。隅田川の橋の中では、一番先に架けられた橋で、熊野神社の説明板にもありましたが、伊奈備前守の指揮のもと掛けられた木橋でした。架橋位置は、現在の 『千住大橋』 より 200m程上流側だったそうです。
 はじめの千住大橋の橋杭材には伊達政宗が寄進した陸中南部地方産の水に強くて朽ちにくい高野槇(コウヤマキ)の材木を使用していたこと、
調査によって、この高野槇の橋杭が千住大橋の橋下に残っていることが確認され、千住小橋の橋上から、高野槇の橋杭の遺構を確認することができる、とWikipediaに書かれているのを、前回来た後知りました。今回覗いてみると、それらしきものがありましたが、これでしょうか。
 もしそうだとしても、最初の千住大橋はここから 200m程上流側にあったそうなので、架け替えの際に位置が変更された2代目以降の橋の橋杭遺構ではないかと思うのですが。
新橋側の橋下スペースへの出入り口。このスペースは千住大橋際歴史資料空館(空間とかけている)と呼ぶようです。

   
千住大橋上から下流側の眺め。
 茶色い橋梁は2つあり、常磐線とつくばエクスプレス。その向こうに日比谷線の橋梁が架かっています。
千住大橋から下りると、またしばらく堤防から離れて歩くことになります。

マンション横にある古びた日枝神社。
虫歯の痛みに耐えかね切腹というのは・・・。
神社の先で堤防沿いの道に出ます。
右手のマンションは盛り土の上に建てられていて、スーパー堤防化されても大丈夫なようになっています。
鉄橋が近づいてきました。ここまで来ると、常磐線とつくばエクスプレスの鉄橋が2つ重なっているのがよくわかります。
左がつくばエクスプレス隅田川橋梁、右が日比谷線隅田川橋梁。

ここから先に進むと帰りが大変なので、今回は南千住駅まで近いここ、日比谷線橋梁下で終わりとしました。
 次回には右岸を歩けば台東区、左岸を歩けば墨田区に入ることになります。
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   2011年3月26日作成
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